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小平潟天満宮<会津磐梯山を神体として、天空の母なる湖猪苗代湖>

■福島県中央に位置する猪苗代町。
会津磐梯山の麓に広がる高原の里でもある。標高は約514メートル。
郡山市と会津若松のほぼ中央にある。アクセスルートは、いわき市から新潟に至るR49線。
又は、磐越道路猪苗代磐梯高原ICを利用。

猪苗代湖は南北14km。東西10km。最大深度93.5mある。猪苗代湖の誕生は、第三紀末から第四紀初めの地殻変動によるものとされる。約9万年前と5万年前の磐梯山火山の火砕流や泥流で河川が堰き止められたことで現在の猪苗代湖を形成したものと思われる。又、猪苗代湖は鬼沼、湖食洞、立石などの自然景観があり、日本百景に選定されるなど観光地としても有名です。




「小平潟天満宮」(夏の景色)天満宮参道
■小平潟天満宮は「北野天満宮」、「太宰府天満宮」と共に日本三大天満宮の1つに称されています。創建も古く天暦元年(948)に元北野天満宮の神像を滋賀県にある比良神社の神良種が神のお告げより景勝地である旧社地に勧請したのが始まりとされます。

天満宮はその後、天神信仰が盛んになるにつれ、会津をはじめ、仙道(現在の福島県中通り)諸郡の領主領民より手厚い保護を受けるようになり、大いに繁栄した。また、猪苗代兼載が小平潟天満宮の申し子であったという伝説は、小平潟天満宮をさらに有名にしたといえる。現在の本殿の建物は会津藩3代藩主 松平正容が天和2年(1682)に建てたもので、会津藩守護の為、鶴ケ城(会津若松城)を向いている現在地に遷座したと伝えられています。

■小平潟天満宮は、四季を通じて参拝客が訪れています。
特に冬の天神は、厳寒の季節風により約1kmにかけて湖畔樹木にかかる波しぶきが、そのまま凍結する「しぶき氷」と呼ばれる現象が起こりる。その美しさに魅了されて、、全国各地からカメラマンや観光客が来訪している。
●レイクサイド磐光から車で約15分。(天神浜内)



土津神社
<土津神社>春の景色)(紅葉の秋
■会津の初代藩主保科正之を祭る神社。建立は延宝3年(1675)と古く、当時は日光東照宮に並ぶほどの荘厳さを誇ったという。戊辰戦争により焼失したが、明治13年(1880)に再建された。境内には正之を讃える高さ7.3M、重さ約30Tの霊号碑がある。

「歴史」
寛文12年8月11日、正之は重臣と共に見祢山へ登り、磐椅神社へ参拝した。その時にこの地を気に入り、自らの墓所と定めたという。翌年に正之が死去すると、遺言どおりにその地に葬られ、神式の葬儀によって埋葬された。この時期、江戸幕府は葬式は仏式によるものと定めていたが、吉川惟足が老中稲葉正則と交渉し、神式で執り行う旨の許可をとった。

その後、前述したとおり2年後の延宝3年に墓所の南側約1キロメートルの地に土津神社が造営された。古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったという。



■慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまった。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。

  • JR磐越西線猪苗代駅より車で10分、徒歩40分。
  • 磐越自動車道猪苗代磐梯高原インターチェンジより車で10分。
  • 春季大祭 5月3日
  • 秋季大祭 9月21日 もみじ祭り 10月末日
  • 御祥忌祭 12月18日

会津猪苗代観光マップ ◇
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